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久々のレッスンで

以前、アマチュア音楽活動(ホルン)でよく本州に渡っていた頃に、京都在住の音楽仲間のお子さんのピアノのレッスンをさせていただいていました。

定期的なレッスンではなかったので、系統だったことはできなくて、レッスンで少しきっかけを作ってあげたらあとは自分で繰り返し弾けるレパートリーを提案してあげるような方法でやっていました。

その後、我が家の子どもたちの受験やら実家の父の闘病やらで趣味の音楽活動から完全に離れてしまい、伺う機会をなくしていました。


そのお兄ちゃんも中学生になり、トランペットを携えてご両親とともにアマチュアオケに参加しているとのこと。(お父さんはコントラバス、お母さんはヴァイオリンを弾かれる音楽大好き一家なのです。)

ドレミの「ド」から関わらせていただいたお兄ちゃんが、こうして音楽を続けていることはとても嬉しいです。

 

久々にうかがった今回のレッスンは小学生の妹ちゃん。

ご本人の気が向いた時だけお母さんが見てあげる、という形でマイペースでやってきたとのこと。

小さな練習曲1曲だったのだけど、言ってあげられることがたくさんあって、私自身が(お母さんも?)とても充実感がありました。ご本人もそうだと嬉しいな。

 

今、アレクサンダーテクニークの知見をピアノ演奏に特化して研究・実践されている伊東佳美先生のインテグレーション・ピアノ・メソッドのセミナーと、ピアノ音楽そのものや奏法等を学問として縦に横にダイナミックかつきめ細やかに研究されている赤松 林太郎先生のセミナーに、一生懸命通っています。

受講の度に自分自身が少しずつアップデートしてきたと信じたいところだったのですが。

今回、何年ぶりかで訪ねたレッスンで、以前の自分とはかなり違っていることを明確に実感できて、またそれを友人である生徒ちゃんママも感じてくれたようで、本当に嬉しいです。
ここまでの道を作って引っ張ってくださった先生方、受講仲間としてご一緒させていただいた先生方への感謝の気持ちが溢れます。


伊東佳美先生と赤松林太郎先生、全く守備範囲の違う講座のように見えて、通じるものが沢山あり、驚いています。赤松先生の演奏はインスタグラムでたくさん視聴できるのですが、伊東先生に教えていただいた視点で、柔軟な手首や腕で繊細にコントロールされた腕の重さを感じとることができ、音の出せない電車内で映像だけを見ても、演奏に感動してしまいます。

 

赤松先生の講座の「バッハは…」「古典派は…」「ロマン派は…」という切り口に「音楽は理屈でない。頭でっかちにならずに感じることの方が大事なのでは?」という意見も聞きますが…。

楽譜が料理のレシピだとして、バッハの時代の大さじと、モーツァルトの時代の大さじと、現代の大さじの容量が全然違うものだとしても、同じように大さじ◯杯のお砂糖を入れますか?

その時代の大さじの容量やお砂糖の甘さ、それをどのくらいの甘さに感じさせる気候風土か。その時代に、お砂糖には社会的にどんな意味があったのか。

そんな、自分で調べていたら気の遠くなるようなことを、気の遠くなるような研究を踏まえて伝えてくださるのが赤松先生の講座なのです。

作曲家への、作品への、音楽へのとてつもない敬意があればこそ、なし得るのだと思います。
2月3日の赤松林太郎先生のリサイタルが待ち遠しいです!!!

 

[余談]

レッスンにうかがった京都の生徒ちゃん(というか友人夫妻)のお宅にて…

ご夫妻そろってウィーン大好きなので、ウィーンのお菓子とウィーンの紅茶をいただきました。

さっきとは違うウィーンの紅茶をおかわりにいただきました。

 

レッスンに行ったのか、お茶に呼ばれたのか分からなくなってきたぞ?

ウィーンのお料理(起源はハンガリーだそうですが)、『グヤーシュ』までいただきました。作ったのは生徒ちゃんのパパさんです!